安曇野ちひろ美術館へふたたび

以前訪れた時のここでの空気がわたしの中で忘れられないものとなっていて、
胡桃とふたり、ちひろ美術館へ向かった。

わたしは自分が「価値観のおしつけ」のような力に対して
ひときわ強く不快感を感じる人間だと思っている。
絵本の世界においては、教育の観点から『よい絵本』などとして本を選定している類いもあるが、
なぜ自由に、真っ白な気持ちで絵本と向き合わせてくれないのだろう、と感じることが多々ある。

安曇野ちひろ美術館。
ここは訪れたひとを自由に放っておいてくれるのだ。

まずエントランスの前で、胡桃はおいてある鉄の楽器をバチでたたいて遊ぶ。
そして中に入り、あれこれ指さしながら館内をめぐる。(絵に限らず置いてあるオブジェひとつひとつが楽しいものなのだ。)
『子供の部屋』で、胡桃は木のおままごとに夢中になっている。
わたしは2,000册もの絵本の置いてある『図書室』(といってもガラスの向こうに芝生の中庭が広がる豊かな部屋である。)で、
懐かしい本を手にどっぷり郷愁にひたり、そして新たな美しい本と出会う。

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あっというまに時間がすぎる。
カフェに連れ立ち、外のパラソルの下おやきを食べた。
ここからの景色は大好きだ。
ビールを飲みたかったけれど、また今度ダンナのいるときにしよう。
胡桃はとなりに広がる花畑に走っていってしまった。
なんとも気持ちよさそうである。

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ゆっくり外を一周して、また館内に戻った。
世界の原画のコレクションされている別館へいく。
『これパパのすきなほんのやつだねえ。』
『このほんねえ、ようちえんにあるよ。』
いつもにも増して饒舌になる胡桃。
木やブリキのオブジェ。動く作品たちの前でじっと見入る。
天井ではジーコジーコとおとをたてて鳥のオブジェがはばたいている。

胡桃がもっとおままごとで遊びたいというので、
わたしはカフェに行き、コーヒーを片手にちひろ美術館のおいたちの本を読んだ。
(『子供の部屋』とカフェは横並びにある。
天井の高さだろうか、すべて一体になったような場所なのだ、ここは。)
「昼寝のできる美術館」「美術館の楽しみはカフェ」「海になった天井」「絵を自分のものにする」….。
館長の松本猛氏(ちひろの息子)の語る想いの一言一言に、胸がほぐれるような気持ちになった。

いわれるまでもなく、わたしの体の方がそれを理解しているようだ。
敷き居の高い展覧会や美術館などに足を運んだりすることなど無論できない子育て中の身である。
心底リラックスしたり、カフェでくつろいだりできることに、涙さえ出てきそうになる。

朝早くから来て、帰りは夕方になった。
一日過ごす中、たくさんの旅行団体客が来ては帰っていった。

単なる観光名所になってほしくない、と思う。
わたしは本当にこの美術館が好きである。
ここに来ると安心する。
ゆるやかに時は流れ、どっしりとした力を感じる。

それはまさに絵や絵本が持っている力と同じなのである。

胡桃の夏休みの、最後の思い出となった。
秋には芝生も枯れ色になり、広がる山々の景色も静かに変わっていくのだろう….。
豊かな余韻を残して帰路についた。